従業員の引き抜きが不法行為となる場合について

 

1.はじめに

日本国憲法第221項では「職業選択の自由」が保障されており、まず、法律の面から、従業員が他社へ移籍することを禁ずるような法制度を採用することはできません。これは、法制度を定める国と個人の問題です。

 

企業と人との間においても、このような保障に反する取り決めは、公序良俗に反して無効とされるようなこともあります。例えば、従業員との間で、同業他社への転職等を禁じる競業避止義務の契約を結んだとしても、それが企業が守ろうとする利益以上の縛りを従業員に求める内容となる場合には、公序良俗違反として無効になる場合があります。

 

もっとも、同業他社が自社の従業員を引き抜いたり、独立を考えている従業員が、他の従業員を引き抜く形で集団退職するようなケースでは、引き抜かれた企業に回復不可能な損害を与えることもあります。

 

このようなケースにおいて、どのような場合であれば、民法上の不法行為(民法709条)となり、あるいは引き抜かれた企業にはどのような救済手段があるのかが、問題となります。

 

本稿では、いくつかの場合に分けて解説致します。

2.不法行為の要件

民法709条は「故意または過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者は、その損害を賠償する責任を負う」と規定しています。従業員の引き抜きが不法行為となるためには、以下の要件が問題となります。

 

➀ 権利または保護される利益の侵害

② 違法性(社会的相当性を欠く行為かどうか)

③ 故意または過失の存在

④ 損害の発生と因果関係

 

この枠組みの中で、多くの裁判例では、職業選択の自由があることにも鑑み、社会的相当性を判断する上においては、とりわけ引き抜き行為の背信性を重視しているといえます。

3.従業員引き抜きが不法行為とされる典型例

(1) 在職中の従業員による引き抜き

在職中の従業員が、自らの退職と同時に他の従業員を誘い出す行為は、退職後と比べると、不法行為責任が認められる可能性は高くなる傾向にあります。その理由としては、従業員は在職中、使用者に対して労働契約上の付随義務として、誠実義務・忠実義務を負っているからです。

 

そのため、とりわけ勤務中・就業時間中に競合他社への移籍を画策し、同僚を誘う行為は「背信行為」とされやすいのです。

 

(2) 取引関係を断絶させる意図での引き抜き

顧客との契約関係や取引秩序を崩壊させることを主な目的とした従業員引き抜きは、社会的相当性を欠き、不法行為に該当するケースが多い傾向にあります。

 

難しいのは、このような目的があったことの証明ですが、引き抜き時期と前後して、従前の取引先が大量に契約の切り替えを行っているようなケースでは、このような目的があったという認定に至ることが多いと思いますので、このような面から主張していくこととなります。

 

(3) 経営の中枢人材を一斉に引き抜く場合

経営幹部や専門技術者など、企業の中枢を担う人材を一挙に引き抜く行為についても、企業基盤を崩壊させ、企業活動そのものを停滞させる可能性があるため、違法性を認める傾向にあるといえます。

 

(4) 顧客情報・営業秘密を利用した引き抜き

単に従業員を移籍させるだけでなく、顧客名簿や価格情報などを利用して、従業員を引き連れて顧客ごと競合企業に移行させる行為も、背信性が認められやすいケースです。

 

もっとも、不正競争防止法の「営業秘密」でな情報の場合には、当該顧客名簿や価格情報が利用されたという証明が難しいケースが多いといえます。会社貸与PCの解析などから、データがコピーされた形跡などを確認することも可能な場合がありますので、当該従業員が使用していたPCは重要な証拠となります。

4.不法行為となりにくい場合

一方で、すべての引き抜きが不法行為にあたるわけではありませんし、むしろ不法行為に該当しないと判断されるケースの方が多いといえます。特定の従業員に対し、報酬やキャリアアップを提示して転職を勧誘すること自体は、企業努力の問題でもありますし、それだけでは不法行為責任が認められることはないといえます。

5.引き抜き行為における関与者の責任

引き抜きが不法行為と認められる場合において、不法行為責任が誰に認められるかという視点では、以下のとおりです。

(1) 引き抜きを主導した従業員

在職中に引き抜きを主導した従業員は、会社への忠実義務違反として不法行為責任を負います。

(2) 受け入れ側企業

引き抜きを積極的に仕組んだ競合企業も「共同不法行為者」として責任を負うことがあります。特に、在職中に従業員へ接触し、顧客情報を利用させた場合は認められやすいといえます。

(3) 引き抜かれた従業員自身

引き抜かれる側の従業員も、営業秘密の持ち出しや顧客引き連れなどに関与した場合、不法行為責任や不正競争防止法違反の責任を問われる可能性があります。

5. 従業員引き抜きと不法行為に関する主な裁判例

従業員の引き抜きが不法行為と認められた裁判例をいくつかご紹介いたします。

(1) 在職中の引き抜きが不法行為とされた事例

  • 東京地裁平成10326日判決
    • 事案:在職中の幹部社員が同僚に声をかけ、まとまった人数を同業他社へ転職させた。
    • 判断:従業員は使用者に対する「忠実義務」に違反したとして不法行為成立。引き抜きを主導した幹部本人と、受け入れた企業に損害賠償責任を認めた。
    • ポイント:在職中に同僚を誘う行為は「背信的」であり、自由競争の範囲を逸脱すると評価された。

 

(2) 経営中枢人材の集団引き抜きが不法行為とされた事例

  • 東京地裁平成7627日判決
    • 事案:店舗責任者らを一斉に引き抜き、競合サロンに移籍させた。
    • 判断:企業の営業活動に重大な支障を生じさせるものであり、不法行為を構成するとした。
    • ポイント:対象となったのが「経営上の中核人材」であり、単なる人材移動ではなく企業基盤の破壊とみなされた。

 

(3) 営業秘密を伴う引き抜きが違法とされた事例

  • 大阪地裁平成181116日判決(ソフトウェア開発会社事件)
    • 事案:退職した従業員が、在職中に入手した顧客名簿を利用して、同僚を引き抜くとともに顧客を移動させた。
    • 判断:営業秘密の不正使用と同僚勧誘行為が一体化しており、不正競争防止法違反および不法行為責任を認めた。
    • ポイント:顧客情報や名簿を利用したケース。

 

(4) 裁判例から見える判断基準

裁判所は、以下の要素を総合的に考慮して社会的相当性の逸脱の有無を判断していると分析できます。

①対象従業員の地位・役割

    • 中枢人材かどうか

②人数・規模

    • 集団的か、限定的か

③時期

    • 在職中に勧誘したか、退職後か

④手段・態様

    • 営業秘密や顧客名簿を利用したか

⑤企業秩序への影響

    • 企業の存続や事業活動に重大な支障が生じるか

 

6. 請求可能な損害賠償額は?

(1) 損害項目

従業員引き抜きが不法行為と認定された場合、損害賠償請求が可能です。

概ね

・代替要員の採用・教育に要した費用

・人材流出により失われた利益(営業利益の減少)

・営業秘密や顧客情報の流出による逸失利益

・信用低下による取引喪失の損害

 

という損害を請求することが多いといえますが、「損害と引き抜き行為との相当因果関係」が必要となるため、営業秘密の侵害のように不正競争防止法が使えないケースでは、立証が難しかったり、判決で認められる損害額が企業ダメージを回復するに至らないケースも多くみられます。

 

 (2) 裁判例にみる損害額の算定

ア  採用・教育費用の回収

引き抜かれた従業員の採用コストや研修費用を損害として認める例があります。ただし「その従業員に要した実費」を基準とするため、数十万円~数百万円程度にとどまることが多いといえます。

イ 営業秘密の流出

不正競争防止法上の営業秘密が持ち出され、顧客の多くが移転した場合には、不正競争防止法52項を用いることによって、「損害額」=「侵害者がその侵害の行為により受けた利益額」と推定させることができます。

 

この場合でも、「利益」とは何かについて所説があり、売上額から変動費を控除した額とする考え方の裁判例などもあります。

 

7. 最後に

このような不法行為責任の追及は、場面としては引き抜きが起こってしまい、企業に少なからず損害が生じ始めているケースが多いといえます。しかし、上記のように損害の回復は、証明や「背信性」といった壁に阻まれ、なかなか功を奏しないケースがあるのも実情です。

 

このような場合に備え、企業としては、平時から、就業規則や、個別の誓約書、契約書において、競業避止義務、秘密保持義務の定めをしておくことが重要です。また、特に重要な顧客情報、ノウハウ等について、不正競争防止法の「営業秘密」として認められるための秘密管理を徹底していく必要もあります。

 

抑止策等によって一定の効果も認められますので、平時より諸規定、諸契約の管理をいただければと思います。

 

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