労働条件の不利益変更における労働者の「同意」の有無の判断
本稿では、労働条件の不利益変更のうち、賃金減額の場面に焦点をおいて、中小企業経営者が陥りやすい労使問題について概説致します。
Contents
1 はじめに ~よくある相談例と経営者の主張~
賃金減額が法的紛争となる主な場面としては、退職した従業員から、減額の合意はなかった、一方的に減額された等として、在職時には主張がなかった主張が、例えば地位確認(解雇無効)や、未払残業代請求等とともになされることが多いと言えます。
弊所への相談事例において、最初の打合せ時によく説明されることは、在職時には全く文句を言っていなかった、2年ほど減額した賃金を何も言うことなく受領し続けていた、他の社員も同じ、というような説明です。また、賃金減額については同意の書面をもらっているので、全く問題ないですよね、というような質問を受けることがあります。
しかし、これらは、それだけでは労働者の真の同意があったと認められない可能性が高く、賃金減額のハードルは、使用者が想像する以上に高いといえます。
2 何が問題か?!
労働契約においても、他の民事ルールと同様、「合意」は原則です。
しかし、不利益変更についての合意あるいは労働者の同意については、裁判所は容易には認めない傾向にあります。
最高裁の判例を一つ紹介します。
山梨県民信用組合事件(最高裁判所第二小法廷判決平成28年2月19日)は次のように判示しました。
「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容および程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯およびその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供または説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきである。」(下線引用者)
裁判所の考え方は、論理的には、以下のとおりです。
- 労働者は、使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれている
- かつ、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界がある。
- そのため、賃金や退職金といった重要な労働条件を自らの不利益に変更する場合であっても、使用者から求められれば、その変更に同意する旨の書面に署名押印をするなどの行為をせざるを得なくなる状況に置かれることも少なくない
- 同意書への署名押印をするなど当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、これをもって直ちに労働者の同意があったものとみることは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである
そして、どのような事情を考慮して判断するかというと、
- 当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無
- 当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度
- 労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様
- 当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして
という例示内容にて判断するものとしています。
最高裁のこのような一連の判例を受けて、実務では当然ながら、これらに従った対応を求められています。
これを近時の裁判例で、同意を肯定した例、否定した例をみると、次のような判示がなされていて、実務の参考となります(いずれも下線引用者)。
(肯定した裁判例:東京地判令和 4年11月30日)
被告の業務は外国人が入居する高級住宅の賃貸仲介業務が相当程度の割合を占めており、コロナ禍で業績が悪化したため、被告は、令和3年2月17日付けで「2021年2月度以降の給与と評価について」と題する書面を作成し、被告取締役のBが同書面に基づいて、令和2年春の緊急事態宣言発令当時は2020年度の収支は2500万円から3000万円程度の赤字となる見通しであったところ、事務所家賃の減額、駐車場賃料の削減、各種費用の削減、賞与カット、役員の大幅な減給により、当初の見込みの大幅な赤字は回避できるが、これ以上の経費の削減が困難であると説明した上で、原告を含む全従業員に対し、令和3年2月分のからの賃金(基本給)を5%減額することを申し入れたこと、これに対し、原告は、令和3年2月18日、被告の状況を理解した上で、令和3年2月分からの基本給が5%減額になることに同意する旨の書面に署名したことが認められる。
(中略)
原告が被告の状況を理解した上で令和3年2月度からの基本給が減額になることに同意する旨の書面に署名しただけでなく、減額幅は5%にとどまり大きいものとはいえず、原告だけでなく全従業員が対象となっていること、コロナ禍により被告の業績が悪化し、他の経費削減方法については既に尽くしていることを書面で説明していることなどに照らすと、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するといえる。
(否定した裁判例:大阪地判令和 4年 6月27日)
被告の主張を前提としても、本件減額についての合意は黙示の合意であるというのであって、原告が本件減額を受け入れることを明らかにした行為は存在しない。また、本件減額の前で金額が判明している平成23年の原告の年収が431万円(月額38万円を前提とすれば38万×12か月=456万円となるはずであるが、その点はさておく)であったのに対し、本件減額後の平成27年から令和2年の収入は148万2000円から196万2000円となっており(認定事実イ)、従前の約34から45%まで減額になっていることに照らせば、その不利益の程度は大きいものといわざるを得ない。さらに、被告が、本件減額に先立ち、原告を含む従業員に対し、事前に経営状況を明らかにする資料を示すなどして説明会を開催したというような事情はうかがわれず(なお、被告代表者の供述を前提としても、経営破綻を理由に一律で日給6000円にするという説明をしたというにとどまる(被告代表者尋問調書13、14頁)。)、本件減額の理由・必要性について、十分な情報を提供したことをうかがわせる事情もない。
以上を総合考慮すれば、本件減額に係る黙示の合意が成立したと認めることはできず、その点をさておくとしても、本件減額に合意することについて、自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するということもできない。
(否定した裁判例:令和 3年 9月 9日)
被告は、令和2年1月23日に原告に対して退職勧奨をしたところ、原告はこれを拒否し、「給与は18万円でよいので、どうか働かせてください、営業成績は必ず改善します。」と懇願し、被告はこれを了承したと主張する。そうすると、原告の賃金減額の申出は、29万円から18万円という大幅な減額であって原告に対して大きな不利益を与えるものであるところ、被告による退職勧奨の影響を受けてされた申出であるから、その不利益の大きさ及び減額に至る経緯に照らして原告の自由な意思に基づいてされたものとはいえない。したがって、被告の上記主張は、事実の有無について認定するまでもなく採用することができない。
3 使用者はどのように対処すべきか?
これら一連の判例からも明らかなように、労働条件の不利益変更についての労働者の同意は、「自由な同意」「真の同意」というフレーズのもと、相当に慎重に判断がなされる傾向にあります。
賃金については、使用者側の努力、例えば、経営難を理由とするものであれば、営業利益の推移、すなわち、売上高の推移、役員報酬の削減状況、他の固定費の削減、人件費の削減に着手せざるを得ない事情など、真摯に説明する姿勢、事実が求められているといえます。
賃金減額については、合意書面(同意書面)があればよいというものではありません。書面がないことはスタート地点としては、マイナスからスタートするものですし、書面があったとしても、本稿で概説した考慮要素が求められますので、ご参考にいただければと思います。
谷川安德
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